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ゴミや糞尿は完壁にリサイクルきれ、当時、世界最大である100万の人口を抱えながらも、江戸は清潔な「環境都市」であったという話です。 たしかに江戸では古紙を漉き返す紙のリサイクルが行なわれていましたし、「古着屋」「古傘買い」に始まり、「提灯の張替屋」、欠けた茶碗を修繕する「焼接屋」、燭台や灯明台に溶けてたまった蝋を集めて再利用する「蝋燭の流れ買い」など、様々なリサイクル業が存在していました。
糞尿も近郊農民がわざわざお金を払って集め、田畑の肥料にしていたくらいです。 けれども当時のリサイクルは、いま行なわれているような「環境をよくする」ことを目的としたものではありません。

あくまでも業者や農民の経済的動機によるものです。 お金になるからゴミや糞尿が集められたので、それ以上でも以下でもありません。
江戸時代のゴミ処理について、国立歴史民族博物館のIさんが詳しい研究をしています。 これによれば、江戸でもゴミの不法投棄が問題になっていました。
不法投棄は禁止されていましたが、それは衛生や環境保全のためではありません。 河岸端や道路のゴミは防災上、川のゴミは舟運搬という流通上、江戸城のお堀に浮かぶゴミは幕府の権威と流通上の問題として、禁止されていたのです。
わざわざお触れが出ていたということは、不法投棄が跡を絶たなかったことの裏返しでもあるでしょう。 幕府は1655年に永代島をゴミ捨場に指定し、それから後の江戸のゴミ処理は、江戸湾岸の深川沖の埋め立てが基本となりました。
江戸市内には、ゴミを回収する請負人の制度がありましたが、この回収システムがあったのは町人地の中心部だけで、武家地や場末にはありませんでした。 武家屋敷のゴミは敷地内の決められた場所に留め置かれ、一部は外部に持ち出されていたのです。

糞尿も江戸のリサイクルとして、よく取り上げられます。 近郊農民が市内で糞尿を購入し、それを肥料(下肥)にして米や野菜を作り、それが再び江戸で消費されるというリサイクルシステムが確立されていたということです。
そのようなシステムがあったことはたしかです。 けれども、大都市の江戸から発生した糞尿の全部が、一滴漏らさず下肥として利用されていたのでしょうか。
当時、糞尿は主に江戸から舟で川をさかのぼっていきました。 船着場から農地までは馬や人が運びます。
この輸送コストのために江戸から遠くなるほど下肥価格はあがります。 下肥は即効性のあるよい肥料だったので、農家は重宝したようですが、どれだけ使うかは価格との関係で決められます。
江戸最近郊の農地である葛飾郡笹ヶ崎村や桑川村(現在の江戸川区東葛西周辺)や荏原郡等々力村(世田谷区等々力周辺)では、ほとんど下肥のみが施肥されていたようですが、そこから遠くなるにつれて下肥の割合は低下し、代わりに自分の農地で作られる堆肥や外部から購入してきた油糟、ぬか、魚肥、生ゴミなどの利用が増えてきます。 そうして、江戸からの距離が6里から3里を超えた所から先では下肥は使用されなくなります。
昔のことですから、良いデータがなかなか見つからないのですが、いろいろな仮定をおいて試算したところ、下肥が使用されていた範囲にある農地で肥料として必要な窒素の量は、江戸で発生する糞尿に含まれる窒素量とだいたい同じくらいか、前者(需要)が後者(供給)を上回るという結果になりました。 つまりマクロ的に見れば、江戸の糞尿の全量が、近郊農地で下肥としてリサイクルされていた可能性はあるわけです。
江戸では4世紀半ばから糞尿汲み取りを専業とする業者が現れ、糞尿が市場を有するようになると、価格が上昇し始めました。 寛政期や天保期には、江戸近郊の農民が幕府に対して下肥の値下げを嘆願する運動が発生しています。
下肥の価格が上昇してきたという史実は、近郊農村における下肥の需要が供給を上回っていたことを示すものです。 江戸の糞尿には強い需要があり、多くが下肥としてリサイクルされていたということなのでしょう。
けれども、これらをもって糞尿が一滴残らず江戸から農村に移送されたと結論することはできません。 Iさんによれば、江戸では大便(尿)の方が肥料として重視されてかわやきたため、ながらく尿は同(トイレ)の尿を薄める不要物とされてきたそうです。
長屋の同は大便用であり、尿はもっぱら下水に流されていました。 また下肥の需要には季節変動があります。

農地には多数の肥溜めが作られていましたが、施肥を行なわない時期に江戸で発生した糞尿のすべてが、肥溜めに備蓄できたかどうか。 肥溜めが一杯になり下肥価格が下落すれば、尿も尿と一緒に下水に流きれていたのではないか。
糞尿の回収が環境のためではなく市場原理によって行なわれていたのであれば、そう考えるほうが妥当でしょう。 江戸時代に訪日した外国人が江戸を「清潔だった」と評したという記述が引用されることもありますが、これをそのまま江戸の日常の姿ととらえるのは誤りであると、Iさんは指摘しています弱)。
彼らの江戸への道中や儀礼的な移動にあたっては、路上はあらかじめ住民によって掃除され、日常化していた立小便が行なわれないよう番人が警戒していたはずだそうです。 古くから、「江戸前」といえばおいしい魚の代表でした。
海苔は江戸の特産品でした。 江戸湾が豊かな海であり続けた背景には、江戸から継続的にゴミや糞尿として流れ出た栄養分があったからではないでしょうか。
江戸は「健康で長生きできる」都市でもなかったようです。 江戸末期にはコレラが頻発していましたし、下肥利用の副作用として、昭和になるまで多くの人が寄生虫に感染していました。
話を現代に戻しましょう。 ディーゼル自動車が、大気汚染の元凶のように言われていたことがありました。
デイーゼル車の排ガスには、ガソリン車の排ガスより多くの「浮遊粒子状物質(SPMとが含まれているからというのが、その理由です。 空気中に放出された粒子は、目に見えるほど大きければ、そのうち地上に落ちてきます。
これが降下煤塵で、煙突や焚き火の煙はその一例です。 けれども粒径が3(マイクロメートル21000分の1型以下の粒子(PM3)近代医学が普及してからは、世界のどこでも都市部の方が農村部よりも長生きできるようになったのですが、昔は逆でした。
江戸も例外ではなく、農村部で人口が増加する間も、江戸の人口は減りつづけていました。 近郊農村で土地を相続できない2男以下の子供たちは、江戸に出て行きます。

なかには商売で身を立てて、長生きできた人もいたでしょうが、大多数が故郷の長男よりも早死にしたようです。 江戸は、農村で発生した過剰人口を飲み込む「都市アリ地獄」だったといいます。
なかなか地上に落ちずにいつまでも空気中を漂います。 PM4の大気中濃度については環境基準が定められていますが、道路近くでは環境基準が達成されていないところが少なくありません。
ディーゼル車が汚染の主原因と考えられています。 粒径がざらに小さい2.5以下の浮遊粒子状物質(PM2.5)になると、PM3より強く健康に影響を及ぼします。
肺の奥深くまで侵入し、肺の中にそのまま留まってしまうからです。 米国では、大気汚染による死亡の多くがPM2.5によるものであると考えられています。

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